総務部長、ときどき山男――「総務部 鎌田健二」

更新Nittoの職人たち

私たち日都産業にはいろんな趣味を持った社員がいます。ただ、遊具メーカーだからでしょうか、マラソンに始まりクライミングからサバイバルレースに至るまで、やはり身体を動かす趣味が多いような気がします。しかも相当な本格派が。

なかでも一際目立つのは、もはやプロレベルまで登山を極めた鎌田健二(59)。執行役員、総務部長として長らくNittoの管理部門を支えてきた男です。

「あれは1990年のことでした。K2の中国側から、新ルートである北西壁の開拓に挑みましてね。3人で最終アタックを行い、そのうち2人が登頂に成功しました。でも、やっぱり山は怖いですよ」
K2とは標高8611メートルで、エベレストに次ぐ世界第2位の高峰。怖いと語るわりに笑顔を絶やさず、口調もアッサリしており、また名誉な功績を誇る様子もありません。社員のなかには、彼のこうした‶素性〟を知らない者さえいます。鎌田が自ら語らないためです。

「それ、本当に鎌田さん?」
K2での壮絶エピソードを聞いた社員は、一様に目を丸くします。おそらく社内での穏やかな姿とのギャップからでしょう。私たちが普段目にするのは、社内でも社外でも常に会社のことを第一に考える総務部長だからです。

山で生きるタフな精神と、会社で見せる堅実な仕事ぶりと――。この二面性こそ彼の魅力なのかもしれません。今回は「タフで優しい総務の職人」のお話です。

死と隣り合わせた「標高7000メートルの一夜」

「もう10日の午前2時過ぎ。この夜中に動いているのは、私だけであった。第2キャンプに向かって私は必死にラッセル、フィックスロープの掘り出しをしていた。それにしても、私のペースは遅すぎた。結局、私は第2キャンプまで届かず、ビバークすることになってしまった」
(書籍「聖域の巨峰」より一部抜粋)

もうK2の頂はすぐ目の前。まさしく‶手を伸ばせば届く距離〟に立っていた鎌田は、世界的な快挙を確信したのでしょう、血も心も躍っていました。ところが一転、自身のミスにより下山を余儀なくされることになります。その無念は計り知れないのですが、驚くべきは彼が置かれたその世界にあります。

引き返すことになった標高は8200メートル
午前2時
独りぼっち

頭上を見上げれば、漆黒の闇には無数の星がまたたいており、地上よりむしろ宇宙のほうが近い、そんな極限の世界――。すでに鎌田には酸素が残されていませんでした。頭は朦朧としており、猛烈な孤独と静かな恐怖が迫りくるなか、それでもハッキリとした自覚はありました。
「オレ、ここで死ぬのかな」
本当の恐怖に直面したとき、人間は笑う――。

もしかすると、鎌田も笑っていたのかもしれません。いくら想像しても想像しきれない世界に、彼は取り残されてしまったのです。

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(世界的な高峰の数々に挑む鎌田)

「いやあ、うっかりミスで、酸素ボンベを使い切っちゃって」
結局、7000メートル付近でビバークしたそうです。その壮絶な一夜を思い出したくないのか、高度障害により記憶が定かでないのか、多くを語ろうとしない鎌田。しかし、当時の心境をつづった文章には彼らしいタフさと優しさがにじみ出ています。

「今でも悔しさで眠れない夜もあるが、過ぎてしまったことは、どうしようもない。私を支えてくれた多勢の人達には深くお詫びして、次の頂をめざし、あらたな努力をして行こう」
(書籍「聖域の巨峰」より一部抜粋)

ダイナミックな世界ですが、その一方で「会社を心から愛し、周囲の人々に感謝をし、常に前を向く」という現在の姿が重なって見える気がします。

Nittoの人事制度をつくった男

鎌田がNittoに入社したのは1984年のこと、配属は総務部。以来35年に渡って人事や労務、さらには経理など様々な業務に携わってきた彼ですが、最も注力したのは「人事制度の整備」と言います。

「30代前半から中盤にかけて手がけた仕事なんですけど、面白くもあり難しいのは『人事制度はつくって終わりでない』ことなんです。まずは制度の意味を社員に理解してもらわなくてはならない。そしてどんな制度もそうなんですけど、制度化したと思ったらすぐに陳腐化するので、制度をメンテナンスするため常に勉強を続ける必要があるんです」

例えば、賃金体系。昔は年齢で決まっていたものが職能に移り、担当業務に変わり、今は成果主義が主流になりつつあります。様々な異業種交流会に出て見識を広めた鎌田は、良い事例を見つければ社内に持ち帰ってみたり、新たな制度設計に取り組んでみたり。人事制度に終わりはなく、彼は今もなお勉強を欠かさないそうです。

総務の仕事は多岐にわたりますが、営業やデザインのように数字や成果物で測れないため、ともすると成果が見えづらい部署です。また、難しい局面に出くわすことも少なくありません。そんなときこそ必要なのは、ゴールを目指す強靭な意志、そして決して諦めないタフさ。登山家である鎌田の‶本領〟がここで発揮されるのです。会社を1つのパーティー(登山隊)と捉えるなら、彼がしっかり総務を守るNittoは幸運なのかもしれません。

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(鎌田が心血を注いでつくった「トータル福祉人事制度」)

そしてもう1つ。いかにも登山家らしい‶仲間想い〟の様子は、こんな言葉にも現れています。
「人事制度の一番のキモは‶評価〟なんです。評価と言うと、社員を数字で記録や管理するみたいなイメージがつきまとうため、良くない印象を持つ人も少なくありません。おそらく給与などに直結するからでしょうね。でも、そこには大きな誤解があります。私はね、評価とはむしろ『人を育てる仕事』だと思っています。上司と部下、あるいは先輩と後輩のやりとりなどを間接的に見守りながら、社員みんなが成長できるよう働きかける、アドバイスを送る。つまり、過去を見るのでなく、未来につなぐことこそ評価の本質なんです」

確かに、上司が変われば評価が変わることはよくあり、必ずしも公平なルールとは言えません。社員1人ひとりの価値観が違うからこそ、明確な基準に基づき運用されるルールが必要であり、それが鎌田の目指すところの「人事制度」というわけです。

ちなみに、他社と比べた際の‶Nitto社員の特徴〟とはどのようなものなのでしょうか。
「うちの社員はとにかく人が良い。それに優しい。純朴というか、嘘をつかないというか、よくぞこんな良い人ばかり集まったなと思います」

私たち日都産業はモノづくりの会社。遊具の品質やデザインによって判断されるのですが、その良し悪しを決めるのは、社員の能力や仕事ぶりといった「人の部分」です。普段は気にしないかもしれませんが、鎌田を始めとする総務部の「人づくり」がNittoブランドを支えているわけです。

「みんなで酒を飲もうよ」の真意

鎌田がよく口にする言葉があります。
「もっとみんな酒を飲もうよ。話をしようよ」

‶忘年会スルー〟なんて言葉が流行っているように、近頃は若者を中心に会社の宴席を避ける傾向が見られます。そんな時代において、鎌田の言葉はややもすると時代遅れな感じは否めません。しかし、彼の真意を覗けば、それは古臭くもお仕着せでもなく、会社のためであることが理解できます。

「私が一番印象に残っている人と言えば、やっぱり中原さんですね。大酒飲みで、そのせいでちょくちょく会社を早退したり、じつに豪快で愉快な人でした。でも仕事は本当にスゴくて、当時流行り始めたパソコンなんかも独自でプログラミングしちゃうんです。それと、リーダーシップがないようであるのも魅力でしたね。仕事面で大きな影響を与えたのはもちろん、私を含めた多くの社員が慕っており、よく彼の家に集まっては遅くまで飲んだものです」

じつはこの中原こそ、後にNittoの社長になった人物。会社の懐の深さ、ユニークさを物語るエピソードではないでしょうか。単なる‶古き良き昔話〟ではなく、時代が変わっても会社や社員に必要なことはある――。鎌田の口調からはそんな信念が感じられます。

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(パソコン画面に食い入る中原前社長)

総務部長である鎌田には「嫌なことも社員に言わなくてはいけない」という役割があります。みんなが気持ちよく働くためには美しい池をつくるだけでなく、ときには池に波紋を呼ぶ‶石〟を投げる必要もあります。良いことを言うのは簡単です。鎌田の言う「もっと酒を飲もうよ」の背景には、会社として上を目指すための使命感もあるのでしょう。

みんなにNittoを知って欲しい!

今年で創業80周年を迎えた私たち日都産業。その半分近くを支えてきた鎌田には、総務部長として今ある想いがあります。

地域貢献できる会社になっていきたい――。そこには次のような背景があるそうです。

「杉並区にはウチの創業社長が中心になって立ち上げた法人会があります。管轄する税務署管内では『第1号の優良法人』として表彰されるほどの実績を残しており、今も多くの企業がボランティアで集まって経営者を育てたり、地元の杉並を盛り上げたり、様々な活動を行っています」

もちろん、私たち日都産業もその一員です。ただ、時代の流れもあってか、当時に比べるとややNittoの存在が薄れてしまった気がしており、だからこそ改めて‶杉並発の国産遊具メーカー〟として地元に密着したい、地元に貢献したいと、鎌田は考えているようです。

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(鎌田の縁により置かれた「Nittoのベンチ」)

こちらは杉並区にある老舗酒屋「三ツ矢酒店」さんの店頭。同じ法人会のメンバー企業です。地元の発展を目指して共に過ごしてきた仲間であり、昔から通行する人々のためにベンチを置いています。

「あのベンチを見るだけで何だか和む」
慌ただしい商店街のなかにそっと佇むベンチは、おじいさんおばあさん、買い物帰りの主婦、学生、小さな子どもといった地元の人々にささやかな安らぎを与えてきました。お店のシンボルみたいなモノであり、また三ツ矢酒店さんの心意気が感じられます。じつはこれ「Nittoのベンチ」。鎌田との縁によるものですが、彼なりの小さな地域貢献でもあります。

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(地域貢献できる会社へ――執行役員、総務部長 鎌田健二)

「まだまだ山に登りますよ。怖いけど」
落ち着いた言葉の向こうに、鎌田の諦めない心が。

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