鞦韆――。
とても難しい漢字ですね。読めないのはもちろん、「こんな漢字、今まで一度も見たことない」という人も少なくないかと思います。じつはこれで「ぶらんこ」と読みます。
何もこんな難解な漢字を当てなくてもいいのでは? と思うのですが、ぶらんこの‶語源〟もちょっと難しそうです。諸説あるようで、「ぶらり」「ぶらん」といった日本の擬態語から来たという説、あるいはポルトガル語のbalanço(バランス、スイングの意味)などがあります。
私たち日本人からすると「ぶらり」「ぶらん」に親近感を覚えますが、「スイング」も特徴をよく捉えており、いずれにしても、ぶらんこは世界中で広く愛されている遊具のようです。
そんなぶらんこですが、「鞦韆」という言葉がじつは‶季語〟だった事実に驚く人はさらに多いのではないでしょうか。
「なぜ、一年中公園にあるぶらんこが季節を現わす言葉なの?」
「そもそも、いつの季節?」
ぶらんこは「春」の季語――。
いきなりそう言われても、何かピンときませんよね? 確かに、穏やかな春の日差しを浴びながらぶらんこに揺られるのは、心地いいもの。でも、なぜ春に限定されるの? じつは、ぶらんこが日本に伝わった歴史と関係しています。
ぶらんこは遠い昔の中国からやってきた遊具で、「春の祭り」に使われていたそうです。こうした経緯が当時の日本でも引き継がれ、俳句などでも「ぶらんこ=春」という認識が広まったようです。
鞦韆という言葉は不思議なことばかりです。
日本の公園には美しい四季がある
春が終わり、初夏に向かおうかという今。名前の由来はともかく、ぶらんこに揺られるには快適な季節です。ところが、ぶらんこは春だけでなくいつでも愛されているみたいです。
夏にぶらんこに乗るのが好き、という人がいます。ただし、カンカン照りの昼間でなく夜に限るそう。寝苦しい夜は公園に向かい、ぶらんこに揺られながら涼しい夜風を浴びるのがたまらなく落ち着くそうで、月が輝いていればなおよしとか。風流な人ですね。
冬が好き、という子どももいます。公園には人が少ないぶん、周囲を気にせず思いっ切りぶらんこを漕ぐのが楽しいそうです。順番待ちの子どもも少ないため、ぶらんこを独り占めでき贅沢な気分になれるだけでなく、冬のヒンヤリした空気も好きだとか。
考えると、ぶらんこに限らず「公園から四季を感じ取る人」はけっこういます。桜が咲き乱れる春、美しい紅葉に染まる秋など、とりわけ緑の少ない都会では、公園の植樹こそ‶唯一の自然〟のようなもの。言い換えれば、公園を見て「ああ、春だな」とほんわかしたり、「もう、秋も終わりなのか」と公園に気付かされたり。
「日本は四季がハッキリしていて羨ましい」
日本を訪れる多くの外国人が口にすることです。富士山でもなく京都のお寺でもなく、四季――。というのも、世界には‶四季がない国〟も少なくないからです。
日本には四季がある。だからこそ桜が咲いたり、葉が枯れたり。また豊かな自然だけでなく、その移り変わる景色まで楽しめる国は、もはやそれだけで贅沢と言うのです。
そういう意味では、いつも四季を身近に感じられる「近所の公園」ほど贅沢な空間もない。ふと、そんな想いが湧いてくるものです。
(外国人が羨む、何気ない公園)
公園は、みんなの庭園――。
若葉と木陰の美しいコントラストを楽しむなら、今が見ごろですね。