「お話をするのは構いませんけど、たぶんというか絶対記事にできないですよ? それでもよければ・・・」
と、冒頭から‶予防線〟を張るのは、入社から29年が過ぎた小倉太郎(52歳)。モノづくりの現場を担う「製造部 製造1課」と、工場見学や取材対応など幅広い業務を担う「業務支援課」において課長を務めています。
Nittoにはユニークな社員が多いのですが、小倉もその1人でしょう。「話すのが苦手だから」と言いつつも、いったん話を始めれば面白いエピソードあり、驚くべき経験あり、遊具への深い造詣あり――。穏やかな話しぶりは、聞き手を惹きつける魅力にあふれています。
ということで、本人いわく「絶対に記事にできない話」をまとめてみたら、どうなるのでしょう。今回はそんな「ちょっとシャイだけど、じつは語り部な職人」のお話です。
手作業の品質を守る
知らない方もいらっしゃると思いますので改めて説明しますと、遊具はほぼ「手づくり品」といっても過言ではありません。
材料を切断する。鉄パイプを曲げる。木材を加工する。パーツを組み立てる――。どれもこれも、1つひとつが職人による手作業です。日本の公園には大量の遊具があるため、「自動車や家電のように、流れ作業で大量生産しているんでしょう?」と考える方もいるようですが、それは誤解なのです。
手作業ゆえに、「品質はきちんと守られているか」「どうすれば遊具を効率的につくれるか」など、並々ならぬ注意が必要です。遊具は子どもが遊ぶものであり、安全性が最優先されるからです。そんなモノづくりの最前線において、品質管理や製造工程をコントロールするのが小倉の仕事です。
「鉄パイプを切ったり、溶接をしたり、遊具づくりにはいろんなスキルが必要です。とはいえ、1人の職人がすべてのスキルを持っているとは限りません。人によっては、ベンダーはできるけど旋盤は扱えない、といった具合です。各人のスキルや特性に合わせて勤務シフトを組んで、様々な遊具を同時進行でつくりながら、なおかつ品質と納期を守るのが重要になってきます」
(いろんなスキルが必要な遊具づくり)
すべてのスキルがそうですが、とりわけ製造1課では切断やベンダー(材料を曲げる)、さらにはプレスや旋盤加工(材料を削り取る)は特殊なため、人繰りには工夫が必要だそうです。長年の経験や勘がものを言うのは、あらゆる世界に共通のことなのですね。なお、製造部にはこのほか「2課」と「検査課」があり、やはりそれぞれが多くのスキルを求められます。
「今は製造工程を見守る立場にありますが、そもそも本職はデザイナーでして、入社以来数え切れないほどのデザインを手がけてきました。当時はパソコンもない時代だったので、すべて手描き。失敗したら最初からやり直しで、そりゃあ大変でしたね」
懐かしそうに語る小倉の目がキラリと光ったのは、やはり自身のフィールドに関わることだからでしょうか。現在、Nittoには注目の製品シリーズがあるのですが、その立ち上げにも参加していました。
天職だった遊具デザイナー
「専門学校でデザインを学んでいて、カーデザインの学科に在籍していました。当然ですが自動車メーカーへの就職を考えていたのですが、あいにく採用人数が少なくて。それで当時、学校に募集があったニットに就職を決めました」
予想外の方針転換だったのですが、これは小倉にとっては思いのほか相性が良かったそうです。というのも遊具のデザインの方が、仕事の幅が広いと感じたからです。
自動車のデザイナーであれば、通常はシートのみとか外装のみなど、製品の一部分を任されることになります。一方の遊具なら、ぶらんこならぶらんこ全体、クライム遊具ならクライム遊具全体と、製品まるごと任されます。さらには雲梯やすべり台やコンビネーション遊具など製品の種類も豊富です。
「結果として、遊具のデザイナーの方が面白いことに気づいたんです。仕事の幅は広いし、自分の仕事の全体像も最初から最後まで見えますからね。もともと公園が好きだった、という個人的な好みも大きいかもしれません」
(当時は主流だった「手描きのパース」)
小倉がNittoに入社したのは、まだパソコンが普及する前のこと。デザインはすべて手描きということですが、彼のパースには独特の柔らかさや世界観、例えて言うなら懐かしいアニメを見ているような気分にさせてくれます。今の時代とは異なる良さが伝わってきますね。
こうした複雑なデザインを1つひとつ手書きで行っていたというのだから、失敗したりコンペに敗れたりしたときの苦労は計り知れず。しかし、手書きだからこそ磨かれたスキルがあるに違いありません。そして小倉に限らずもっと前の先輩たちも、その時代その時代における苦労を積み重ねたおかげで、今のNittoがあるのでしょう。
「ただね、3年くらい営業をしていた時期があるんです。東京都内の担当として自治体を回っていました。最初にお話した通り、ボクは話をするのが苦手だから、予期せぬ異動に戸惑いましたよ。営業時代はけっこう忙しかったし、けっこう売りました」
話が苦手なのに、けっこう売ったとは、いったいどんな営業活動を行っていたのでしょう?
じつはそこに‶小倉流の秘訣〟があったのです。
驚愕の「100万コンビ」を販売したワケ
「お客さまの目の前でデザインを描いちゃうんですよ。あれが欲しいと言われれば、その場でデッサンに追加したり、色を変更したり、『こんなのできない?』と聞かれたら、一からデッサンを起こしたり。とにかくお客さまの声に耳を傾けて、ニーズを引き出して、提案して。その繰り返しでしたね」
彼の営業の強みを紐解くと、幾つかのポイントがあります。1つは、スピード。お客さまの目の前でデッサンを、しかもニーズを引き出しながら描くことで、「それならニットさんに任せようか」という気になり、商談は一気に進みます。
もう1つは、オリジナリティー。絵が得意な営業マンとは、相手からすれば楽しく、商談をするうえでも便利とあって、かなり魅力的に映るはず。こんな営業マンはあまり存在しないため、小倉の個性はより輝いたに違いありません。話が苦手――。その弱点を補うため、口を動かすのでなくせっせと手を動かしたわけです。
(小倉流の営業は「手描きのデッサン」)
小倉が営業に配属されたのはバブル崩壊のあと。お客さまは、よりリーズナブルな方向へ向かわざるを得ず、それでいながら豪華さも欲しいというジレンマを抱えていました。そんなお客さまのジレンマを救ったのも、やはり小倉のデザインでした。
「100万円前後のコンビネーション遊具を提案したんです。アイテム数を絞ったり、材料を少なくしたり、加工を簡単にしたりと、ひたすら知恵を絞って金額を抑えたんです。当時は100万のコンビなんて有り得ません。考えないとできない製品です。だから『おお、これは嬉しい!』とお客さまに喜んでいただき、けっこう売れました」
自分で現場を見て、デザインして、お客さまに提案する――。驚くことに、ほぼ1人で業務をこなしたのです。100万のコンビ遊具は「営業だからできた」とも、小倉は語ります。言うまでもなく、デザイナーとしての腕も良かったのでしょう。
(コスパに優れた「100万円のコンビ遊具」)
「予算がない。設置スペースもない。ただ、ありきたりではない‶一点モノ〟をつくりたいという想いで営業していました。とにかくがむしゃらでしたね」
小倉の想いは、お客さまにも通じたのでしょう。担当していた地区の予算すべてを任されるほどの信頼を獲得したそうです。営業時代を振り返る彼は目がキラキラと輝き、朗らかに笑い、じつに楽しそう。結局のところ、営業が性に合っていたのでは?
「いや、楽しくなかったです。だってボクは、クリエイターですから」
そう語る小倉ですが、やっぱり楽しそうなのはNittoが好きだからでしょう。急がば回れという諺がありますが、本来のデザイン職を離れて経験した数年の営業が、彼の仕事の幅を広げたのは間違いありません。
Nittoの遊具は、優しさでできている。
製造部門を管理し、デザイナーであり、営業マンでありと、いろんな顔を持つ小倉。じつは、このほかにも顔を持っています。それは「Nittoの宣伝マン」という顔。メディア対応にあたったり、工場見学に訪れた小学生に説明したり、ときには海外からの視察団への対応もこなします。多くの顔を持つからこそ、遊具の魅力を発信するにはふさわしいのかもしれません。
(マスクの下に、幾つもの顔を隠している――製造部/技術部 小倉太郎)
「製品としては、グローブジャングルが好きですね。美しいデザインが気に入っているのはもちろん、やっぱり子ども時代の記憶がありますから。動く遊具ってとっても魅力的で、入社してニットが開発したと知って、びっくりしました。そして最近つくづく思うのは、子どもにとっての遊具がどれだけ大切かということですね・・・」
新型コロナの感染拡大によって、改めて公園の魅力や遊具の価値が見直される今。
とにかく優しい小倉の眼差しには、相手のこころをスーッと癒す力があるような気がします。
もちろんNittoの遊具にも、彼の優しい力が込められています。
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