この年末年始に帰省を控えた方々のなかには、「2月あたりから実家に帰り始めた」といった声がちらほら聞かれます。お正月のような人混みもなく、おせち料理もない――となると、例年とはちょっと異なる気分になるもので、「久しぶりに自分の町をゆっくり散歩しながら眺めてみた」という人もいるのではないでしょうか。
こんなとき、「あれ?」と思うことも少なくありません。
「コンビニだった場所がレストランになってる!」
「小学校の校庭って、こんなに小さかった?」
「中学校の体育館が変わってる!」
過ごした土地により事情は異なりますし、世代によっても気づくポイントは様々でしょう。マンションが多い都会と一軒家が立ち並ぶ郊外では、そもそも街の変化のスピードは違います。ただ、多くの人が抱く共通点が1つあるような気がします。それは「公園の記憶」です。
「この公園、昔と変わらないなあ」
公園の多くは、昔も今もその場所に‶あり続ける〟のが一般的です。現在ある公園は10年前も、20年前も、もっと前もたいてい同じ場所にあるもの。たとえ街の様子が変わっても、まるで街のシンボルか重鎮のように、公園は地域に根付いているものです。
あの角を曲がれば、あの公園がある――そんな記憶があるからこそ、久しぶりに見た公園に「変わらないなあ」と、人は似たような感情を持つのかもしれません。
土管が2つ、その向こうにはコンクリート製のすべり台があり、さらに奥にはぶらんこが見えます。いたってシンプルなつくりの公園です。40年前から殆ど姿を変えていませんが、当時ここで流行っていたのは、なんと「かくれんぼ」。
見ての通り、隠れる場所は土管しかありません。すべり台の下にも土管があるほか、3人くらい身を潜められる小さな植え込みもあります。でも、いずれにしても‶隠れた瞬間に見つかるかくれんぼ〟というわけです。この公園で子どもたちは毎日、学校帰りにかくれんぼをしていました。
「よくもこんな状況で、かくれんぼなんかしてたよね」
不思議ですね。
いま思えば。
かくれんぼをベースにしながら、独自ルールを考案するなど子どもたちみんなで工夫を凝らして「遊びをつくって」いたのです。そのルールは下の世代にも受け継がれ、いつまで続いたのか定かでありませんが、土管2つだけの公園では長らくかくれんぼが人気だったとか。
子どものクリエイティビティって、やっぱりたくましいですね。
いろんな人が、いろんな記憶を持っている――それが公園という存在なのでしょう。
いま思えば――。
いろんな人からそんな公園の記憶を集めたら、何だか楽しそうですね。
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